俺がやってるのは「いじめ」じゃなくて愛ある「いじり」…本当に?
「上司や同僚の「いじり」で、線路に飛び込みそうになる女性たち」という記事を書いて、大きな反響があった。コメントの中に複数、いじめをいじりと言い換えるのはおかしいという意見があった。確かに、起こっていることは「いじめ」と同じくらい辛いものかもしれない。逆説的だが、だからこそ、タイトルや記事中はやっぱり「いじり」にしてしかるべきだったと思う。なぜなら「俺がやってるのは、いじめじゃなくて、愛あるいじり」と思っている人は「いじめが自殺につながる」というタイトルの記事を読んでくれるだろうか。あなたのその「いじり」と認識しているものこそが人を死へも追いやるのだと声を大にして言いたい。